※この記事には、映画『インセプション』のネタばれが含まれます。途中までは、結末に触れない程度のネタばれでご覧いただくことができます。結末に触れるパートに入る前に、再度 注意換気があります。

【Introduction】音楽を数学的に遊ぶ

 「夢」という概念を巧みに使った、クリストファー・ノーラン(1970-)監督の映画『インセプション』(2010)。夢を幾重にも階層化した世界観や、不可能図形の「ペンローズの階段」が登場する等、さまざまな科学的・数学的なアプローチが含まれた映画として知られています。しかし、そのアプローチが「音楽」にも施されていたことは、あまり知られていません。

 音楽を担当したハンス・ジマー(1957-)は、映画に取り掛かるにあたり、科学や数学と音楽の関わりについて改めて勉強しました。そのおかげで、『インセプション』は音楽にも数学的な遊び心が取り込まれた作品に仕上がっています。

 しかしながら、それは映画を見ているだけでは気づける仕掛けでない上、あまり日本の映画音楽研究が熱心でないこともあり、それを気づかせてくれる評論も無に等しい。ときどき優秀なノーランのファンによって言及されることもありますが、残念ながら学術的に十分な評価がされていないのが現状です。

 したがって、この記事においては、埋もれがちになってしまっている『インセプション』の映画音楽の価値を掘り起こすことに挑戦します。そして、知らないともったいない、音楽に仕掛けられた技を徹底的に解説します。

1. 科学書『ゲーデル, エッシャー, バッハ』

 ハンス・ジマーが研究の参考にしたと語っている本が、ダグラス・ホフスタッター(1945)の著作である『ゲーデル, エッシャー, バッハ –あるいは不思議の環(原題:Gödel, Escher, Bach: an Eternal Golden Braid)』(1979)。(以下、『GED』と略称。)

 日本でもヒットした名著で、まさしく「芸術を科学的・数学的に捉える」ことをテーマにしています。本のタイトルは、それぞれ数学、美術、音楽の分野における偉人から取られたもの。

  • 数学:クルト・ゲーデル(1906-1978)
  • 美術:マウリッツ・エッシャー(1898-1972)
  • 音楽:ヨハン・セバスチャン・バッハ(1685-1750)

 ざっくり要約すると、数学者のゲーデルが発表した「不完全性定理」等をもとに、パラドックス的な芸術を読み解いていくという内容です。

 「不完全性定理」とは、すべての命題が必ずしも証明できるわけではなく、真にも偽にもなりうる命題もあるという定理。

 例えば、「クレタ人はいつも嘘をつく」とクレタ人のエピメニデスが言った、という命題があります。これは、もしエピメニデスが嘘をついているなら「クレタ人はいつも嘘をつく」という発言も嘘になるという、有名なパラドックス。それまでは「どんな命題も必ず真か偽か証明できる」と考えられていましたが、ゲーデルは「不完全性定理」によって、このパラドックスを「証明できない命題」としました。

 このような真偽の証明ができないパラドックスは、命題のような文章だけではなく、美術や音楽の作品からも見つけることができます。『GED』は、それらをホフスタッターが楽しそーに追求していく本。正直なジマーは、5周してやっと内容が理解できたと語っていました。(笑)

 そして、この本で言及されている内容は、実は『インセプション』で取り上げられている内容にもしっかりと合致しています。

2. エッシャーのリトグラフ《上昇と下降》

 例えば、『GED』の美術部門で取り上げられている、版画家のマウリッツ・エッシャー。彼の作品には、数々の「不可能図形」が仕掛けられています。

 「不可能図形」とは、目の錯覚を使って作られる実現不可能な図形のこと。数学者のロジャー・ペンローズ(1931-)が、様々な図形・立体を考案したことで知られています。その一つが「ペンローズの階段」です。

<図1>ペンローズの階段

 エッシャーは、この「ペンローズの階段」を利用して《上昇と下降(原題:Ascending and Descending)》(1960)というリトグラフを作りました。(こちらの外部リンクで作品をご覧いただくことができます。→エッシャー公式サイト ギャラリー《上昇と下降》

 《上昇と下降》は、兵隊たちが「ペンローズの階段」を永遠に上り続けている、もしくは永遠に下り続けているように見えるという作品。現実においては実現不可能ですが、二次元の版画では目の錯覚を使って作ることができます。

 『インセプション』においても、このような「ペンローズの階段」が登場し、夢の中で階段を上っていくと、いつの間にか元の地点に戻っているという場面があります。二次元と同じように、夢の世界でも現実で実現不可能な「パラドックス」を自由に創造することができることを説明するセクションです。

 このような「ある階層システムの段階を上へ(あるいは下へ)移動することによって、意外にも出発点に帰っているときの現象」[1] を、ホフスタッターは『GED』で「不思議の環」と命名しました。

3. J.S.バッハ《音楽の捧げもの》

 この「不思議の環」を音楽で表現したのが、バロック時代の作曲家のヨハン・セバスチャン・バッハ。 16の作品から成る曲集《音楽の捧げもの(原題:Das Musikalische Opfer)BWV1079》に入っている、《螺旋カノン BWV1078/4e》という楽曲がこれに当たります。

 c-moll(英米式:C minor)で始まり、d-moll(英米式:D minor)で終わる8小節のカノンが、今度はd-moll で始まり、e-moll(英米式:E minor)で終わる。そして今度はe-mollで始まり…というふうに、無限に調を上っていくように設計されています。最後は、一オクターブ上のc-mollに到達して終了。c-mollで始まり、上昇しながらc-mollに戻るという仕組みです。

<図2>J.S.バッハ《螺旋カノン》の転調

 これだけでも「不思議の環」の定義と一致しているように思えますが、ホフスタッターは完全な元の地点でなく、一オクターブ上のc-mollに戻っていることを惜しがります。なんとか音楽で完全な出発点に戻る「不思議の環」を作れないものか。

 それを解決したのが…

4. シェパード・トーン(無限音階)

 ノーランが数々の映画において頻繁に使っている「無限音階」とも呼ばれる「シェパード・トーン Shepherd tone」です。

 実際に、下の動画でシェパード・トーンを聞くことができます。

 一音ずつ上昇していく上の動画を一周した後にもう一度聞き直してみると、不思議なことに最初と最後の音が同じように聞こえます。

 この不思議な音階について、『GED』には次のように記述されています。

だが驚くことに、われわれが「シェパード・トーン」と呼ぶものを使うことにより、最初の高さに正確に戻るようアレンジすることが可能なのである。これはこのアイディアの発見者、心理学者のロジャー・シェパードの名を採ったものだ。シェパード=トーン音階の原理は −中略− 言葉でいえばこうだ。いくつかの違ったオクターブで平行音階を弾く。それぞれの音符は独立して重さを量られ、音符の上昇につれてウェイトが移る。最上部のオクターブを徐々にフェイドアウトさせ、同時に最低部のオクターブを徐々に持ち込む。ふつうに一オクターブ高くなった瞬間には、最初の高さを再びつくり出すようウェイトが正確に移動している…… このように、けっしてそれ以上高くならずに「永久に上へ上へ」と上がっていくことができる! [2]

 すなわちシェパード・トーンとは、音響版ペンローズの階段。実は、上述した『インセプション』で「ペンローズの階段」を説明する場面の終わり際にも、さりげなくシェパード・トーンが流れています。(笑)

 ノーランがシェパード・トーンを使い始めたのは、2006年の『プレステージ(原題:The Prestige)』。音楽を担当したデヴィッド・ジュリアン(1967-)と共に見つけ出して、この原理をベースにした劇音楽を作り上げたそう。同様にシェパード・トーンを音楽に取り入れることで、『インセプション』のコンセプトと合致させています。見事!

 もちろん、シェパード・トーンを使えば、J.S.バッハの《螺旋のカノン》も完全な出発点に再帰させて演奏することができるようになります。なんと200年越しの実現 …(笑)

<図3>シェパード・トーンを使った
J.S.バッハ《螺旋カノン》の転調

5. 映画のメインテーマ音楽《Time》:理に適ったタイムトラベル

 記事冒頭で前述したように、『インセプション』には「夢の階層化」が登場します。「夢の階層化」とは、夢の中でさらに夢を見て、その夢の中でさらに夢を…というふうに、夢が幾重にも重ねられること。

 映画においては、「長い夢を見ていても、現実ではあまり時間が経っていない」という「夢あるある」に因んで、現実世界の10時間は「夢」で1週間、「夢の夢」で6ヶ月間、「夢の夢の夢」で10年間に感じるというふうに、夢の階層が深まるにつれて、時間がどんどん引き延ばされていきます。ハンス・ジマーは、この「時間」のコンセプトに大いに関心を持ったと語りました。

 例えば、上述の例に従うと「夢」で1週間過ごして「現実」に戻ると、1週間前に戻ることができます。これをジマーは「クリス(*ノーランのこと)は理に適ったタイムトラベルを作り出した」[3] と評価。コンセプトへの称賛が込められてか、映画のメインテーマとも言える楽曲には《Time 時間》と名付けられています。

 「時間」を使ったアプローチは、これだけではありません。

6. 三曲が同時に流れる「カフェにいる夢」

 ここで、シェパード・トーンの他にもう一つ、重要な「素材」を紹介します。エディット・ピアフの名曲《水に流して(原題:Non, Je ne regrette rien)》(1956)です。

 この曲はピアフの晩年に発表されたシャンソンで、『インセプション』においては「夢から現実に戻る合図」として使用されています。寝ている仲間に現実の世界から《水を流して》を聴かせれば、それを合図に目を覚まして夢の世界から帰って来る… すなわち「目覚まし音楽」です。夢の世界は現実より時間が遅く進むので、それに従って《水に流して》も夢の階層が深まるごとにスローになっていきます

 この《水に流して》を使ったシーケンスで、ジマーとノーランが気に入っていると発言しているのが、「カフェにいる夢」の劇音楽。異なるテンポ、異なる拍子(片方が3/4拍子、もう片方が4/4拍子)による二つのトラックを合体させた音楽の上に、さらに戻る合図としてスロー再生された《水に流して》が重ねられているシーケンスです。

 すなわち、この場面においては3つの全く異なる曲が同時に流れています。当然、異なる曲が組み合わされば複雑な響きが生み出されますが、実はそれぞれが相関性のあるテンポを持つ曲。テンポという「時間」の要素を上手く利用することで、ジマーは三つの異なるトラックを一つの曲に仕上げるという難技をこなしているんですね。(残念ながらこの部分はサウンドトラックに収録されていません。)
  

※以下の章からは、映画『インセプション』の結末に触れるネタばれが含まれます。ご了承の方は、お進みくださいませ。

   

7. 映画のオープニング音楽《Half Remembered Dream》

 次に、映画のオープニング音楽である《Half Remembered Dream》について。これも実は、ピアフの《水に流して》が素材として使われています。

 《水に流して》の冒頭は、リズミカルに刻むブラスの音で開始しますが、《Half Remembered Dream》にも騒音のようなやかましいブラス音が現れます。これは《水に流して》のブラスを引き伸ばした演奏に聞こえるよう、ジマーが似せて作ったもの。[4]

 映画の終幕で明かされますが、実はオープニング場面は主人公が「夢の夢の夢の夢」である「夢の第4階層」、すなわち「虚無」にいる場面。主人公の仲間が、上の階の夢から「元に戻れ」と合図を送っているはずの、すなわちスローに再生された《水に流して》が、背後から聞こえていなければならないシーンです。

 オープニング場面に、さりげなくさりげなくラストシーンへ繋がるヒントが隠されてあったということになります。

8. ラストの解釈に関わる音楽 ❶実は答えがある

 そして、《水に流して》の最も重要なポイントは、ラストの解釈に関わってくることです。

 『インセプション』のラストは、主人公コブが最後に行き着いた場所が「夢か現実か」という「胡蝶の夢」的な謎が残されたまま幕を下ろします。任務を完了して自身の犯罪歴を消してもらったコブは、晴れて我が家に帰り子供たちに会いに行く。しかし、もしかしたらそれは「我が家に帰った夢」を見ているだけなのかもしれない。

 この有名なラストシーンは、以下のノーランの発言によって、見た人それぞれの解釈に委ねられるものと考えられてきました。

最も重要なことは、あのシーンでコブがコマ(*注釈参照)を見ていないということだ。あの時彼は、コマではなく子供たちを見つめていた。コブはコマを捨てた、ということなんだ。[5]

*コマ:夢か現実かを見分けるアイテム。居る場所が夢であれば回り続け、現実であれば倒れる。映画はコマが回り続けるのか倒れるのか分からない、すんでのところで終わる。
    

 たどり着いた場所が夢にしろ現実にしろ、コブが子供たちと再会したことに変わりはなく、その場所で子供たちを大切にしていくことが重要だということですね。「夢か現実かは重要ではない(夢と現実に優劣はない)ので、その場所で満足できるように生きていけば良い」という、「胡蝶の夢」の教訓に一致した考え方です。

 しかし、なぜ合図の「目覚まし音楽」としてピアフの《水に流して》が選ばれているのかを考察すると、「どっちでもいい」ように思われるこのラストに、実は答えが用意されていたことがわかります。

9. ラストの解釈に関わる音楽 ❷モル

 それを考察するためには、マリオン・コティヤールが演じているコブの妻「モル」の存在について、まず確認する必要があります。

 モルは、夢の世界に囚われかけていたところを、コブに「ここは現実じゃない。戻るには死ぬしかない。」という考えをインセプションされ(植え付けられ)ます。しかし、現実に戻った後も、「ここは現実じゃない。戻るには死ぬしかない。」という考えは消えず、モルは現実の世界で身を投げてしまう。その後、コブの夢の中には死んだ「モル」の幻影が悉く登場して、彼の邪魔をするようになります。

 夢に現れる「モル」は、自分の行いが原因で妻を死なせてしまった罪悪感が、潜在意識が投影される夢において具現化したもの。「モル Mal」にはフランス語で「悪い」という意味があるように、夢の「モル」は罪悪感の擬人化として襲ってくる怖ろしい敵です。その一方で、彼女は現実世界ではもう二度と会うことができない最愛の人でもあります。

 映画の終盤、夢なら永遠に一緒にいられるからと、夢の「モル」はコブが現実に戻るのを引き止めます。しかし、夢に囚われれば、現実世界の子どもたちには二度と会えなくなる上に、夢の中の「モル」は記憶の中から再現した存在であって本物ではない。それをわかっていながら、コブは頭を悩ませます。

10. ラストの解釈に関わる音楽 ❸《水に流して》

 ところで《水に流して》は、元々はピアフのために作られた楽曲ではありません。そのため、歌詞もピアフではなく作詞家のミシェル・ヴォルケールが担当していますが、彼女の伝記映画『エディット・ピアフ 〜愛の讃歌〜』(2007)においては、初めてこの曲を聴いた晩年のピアフが次のようなセリフを発します。「これは私の人生を謳った曲」。

 タイトルの「Non, je ne regrette rien」は、直訳をすると「いいえ、全く後悔していない」という意味。過去にあった悲しみや喜びすべてに対して「全く後悔していない」と歌っている詞です。では、ピアフはそれまでに一体どんな人生を送ってきたのか。

 幼い頃は角膜炎に悩まされ、16歳で産んだたった一人の子供は2歳で他界、雇われたナイトクラブのオーナーは殺害され、その共犯者に疑われ、不倫関係にあったボクサーが飛行機事故で亡くなり、そのショックを癒すために晩年はモルヒネ中毒に…。 壮絶!!(笑) そんな人生すべてを「いいえ、全く後悔していない」と言い切るピアフのたくましさが窺える楽曲です。

 話を『インセプション』に戻すと、ラストシーンの重要な手掛かりが歌詞における次の一節。

Balayées pour toujours, je repars à zéro
永遠に消し去って、私はゼロからやり直す
Car ma vie car mes joies Aujourd’hui, ça commence avec toi
私の人生も私の喜びも 今日あなたと始まる

 まるで「モル」が話しかけてきているかのよう。怖いですねぇ。

 「今日あなたと始まる」。この一節を「モル」の言葉に置き換えるなら、ラストは彼女と共に「」に囚われてしまったと考えるのが妥当です。

 「夢か現実かは重要でない」としながら「夢」という答えが用意されている理由は、おそらくは「夢か現実かは重要でない」というノーランの主張に説得力を持たすためだと考えられます。

 夢と現実ではどうしても現実のほうが「本物」として重宝されてしまうため、もし答えが「現実」だとしたら、上記の主張に説得力が欠けてしまいます。したがって、「夢か現実か」が気になって探りを入れてしまった観客のために、念のため「夢」という答えを用意しておいたのだと考えられます。

 「ラストが夢」という論拠については、別記事に詳しくまとめてありますので、宜しければご参照くださいませ。(→【ネタばれ】映画『インセプション』ラストシーン解説

※ちなみに、前項で挙げた映画『エディット・ピアフ 〜愛の讃歌〜』でピアフ役を演じているのは、なんとモル役のマリオン・コティヤール。ここも合わせているように見えますが、彼女のピアフ役が決まる前から《水に流して》を映画に使うことは決定していたそう。良い偶然。

11. まとめ

 以上の内容を簡潔にまとめると、次の4点にまとめることができます。

  • 音響版ペンローズの階段である「シェパード・トーン」と、
  • エディット・ピアフの《水に流して》が「素材」として使われている。
  • 映画のテーマの一つである「時間」が知的に仕込まれている。
  • ラストに主人公が行き着いた場所が「夢」であることを、読み解く手掛かりが隠されている。

 音楽一つとってみても、ノーランの映画は凄い情報量ですね。以上!
  

【関連記事】
【ネタばれ】映画『インセプション』ラストシーン解説

【引用文献】
[1] グスタフ・ホフスタッター『ゲーデル, エッシャー, バッハ –あるいは不思議の環』白揚社、1985年、野崎昭弘・はやし・はじめ・柳澤尚紀訳、p.26
[2] 同上、p.707
[3] Q&A: Composer Hans Zimmer / The Hollywood Reporter(2019/08/31閲覧)
[4] Q&A: Composer Hans Zimmer / The Hollywood Reporter(2019/08/31閲覧)
[5] 【ネタバレ解説】映画『インセプション』複雑なルール設定、ラストの意味を徹底考察(2019/08/31閲覧)

【参考文献】
Christopher Nolan explains the ‘audio illusion’ that created the unique music in ‘Dunkirk’(2019/09/06閲覧)
MUSIC OF THE MOVIES: CHRISTOPHER NOLAN AND HANS ZIMMER(2019/09/06閲覧)
Q&A: Composer Hans Zimmer / The Hollywood Reporter(2019/08/31閲覧)
【ネタバレ解説】映画『インセプション』複雑なルール設定、ラストの意味を徹底考察(2019/08/31閲覧)
・グスタフ・ホフスタッター『ゲーデル, エッシャー, バッハ –あるいは不思議の環』白揚社、1985年、野崎昭弘・はやし・はじめ・柳澤尚紀訳