午前4時33分

B’z《光芒》闇から光へ

【Introduction】苦境から生み出された名曲

 B’zにとっての2007年は、いわゆるスランプ期。曲作りのためにロサンゼルスに出向くも、どれ一つとして良いと思える状態に出来上がらないまま帰国することもあったそう。スランプの闇から抜け出すという意味で、「光を求めてアクションを起こす」というテーマで作られた同年のアルバムは、『ACTION』(2007)と名付けられました。

 そのテーマを象徴するような曲が、アルバムの13曲目に収録されている《光芒》(2007)です。苦境に立たされていた当時の心境が反映されている曲ですが、それでも「光を求め歩き続ける」という決意が歌われています。この記事においては、そんなB’zの感動的なロックバラード《光芒》について解析します。

1. アルバムのキーワードは「光」

 アルバム『ACTION』は、全体的に「光」というキーワードを意識して作られており、その思い入れようはアルバムのタイトル候補に「光」が上がっていたというほど。(例えば、《黒い青春》の「光と影は支え合う」という一節や、《満月よ照らせ》の歌詞等から「光」というキーワードを垣間見ることができます。)それを、「B’zの場合は光というよりも、光に向かって進むには大なり小なりアクションを起こさないとならない」と改め、現在のタイトルに転じたそうです。

 最も明らかに「光」がキーワードとして使われている《光芒》という楽曲名は、「一筋の光」の意。苦しい現状にも、解決の糸口となる「一筋の光」はあるから、それに向かって進んでいこうと鼓舞する楽曲です。作詞したヴォーカルの稲葉浩志さんは、意図的にレコーディングの状況を投影させたわけでないとしながら、「後から歌詞を見直すと、やはりそういう心境が出てますね。」と、制作背景が反映されたことを認めています。

2. 闇から光へ

 曲の特徴は、セクションが「闇」と「光」にはっきり分けられていること。

 具体的には、曲が「イントロ→(Aメロ→Bメロ→サビ)×2→ギターソロ→大サビ→Cメロ→アウトロ」と構成されている中の、Cメロより前の部分(イントロから大サビ)が「闇」っぽい部分、そしてCメロ以降の部分(Cメロからアウトロ)が「光」っぽい部分です。この記事においては、わかりやすいように前者を「闇パート」、後者を「光パート」と呼ぶことにします。

 この二つを区別するものの一つが、歌詞。前者においては厳しい現実がひたすら嘆かれていますが、「景色は少しずつ変わっていく」という歌詞を合図に、そんな現実にも進んでいくことを決意する力強い後者に切り替わります。

 この光パートは、稲葉さん自身が気に入っていると発言している部分です。ハードな闇パートが明けた後に、希望のある光パートの歌詞に差し掛かる様子は、聴いていて確かな感動を誘います。しかし、この部分が感動的に聞こえる理由は、歌詞だけにとどまりません。

※ここで言うCメロは「大サビ」と形容されていることが多いですが、一般的な歌謡曲に登場する「サビ」と相関のある「大サビ」とは明らかに別ものなので、この記事においては「Cメロ」と表記しています。

3. 短調から長調へ

 歌詞だけでなく、作曲においても「闇」から「光」へ移ろう様子をエモーショナルに盛り上げる工夫がされています。 まず、それが最もわかりやすいのが「転調」です。

《光芒》は、「アルバムのためにマイナーキー(短調)のバラードを作りたい」という、作曲者である松本孝弘さんの意向によって制作されました。そのため、楽曲の主となっている闇パートは、ホ短調(E minor)で作られています。これが光パートでホ長調(E Major)に転調し、一気に輝かしい印象へと変わります。

 一般的に、自然倍音に近い音階である長調は「明るい」印象を持たれることが多く、対する短調は「暗い」印象を持たれやすいとされます。したがって、短調から長調への転調は「暗い」から「明るい」、すなわち「闇」から「光」へ移り変わったような印象を与えます。

 調性の感じ方は人それぞれなので、考えを一概に押し付けることはできませんが、「どの調性にどのような性格の曲が多いか」を統計的に導き出して、平均的な印象を割り出すことはできます。音楽評論家の門馬直美さんによると、ホ短調が「悲痛」「不安[1] に対して、ホ長調は「高貴」「輝かしく、温和で喜ばしい[2] という性格を持つそう。
(ホ短調の例に、門馬さんはシューベルトの歌曲《菩提樹》(1827)を挙げ、「寂しい冷たい現実を示すよう」[3] と形容しています。一方、ホ長調の曲にはプリンセスプリンセスの《Diamonds》(1989)等があり、たしかにダイヤモンドのような「輝かしさ」を感じさせてくれます。)

 《光芒》の歌詞を見ると、闇パートは「現実」を生きていく「悲痛」「不安」が歌われ、光パートで「輝かしく喜ばしい」詞へと変わるので、見事に調と内容が一致しています。この部分が感動的に聞こえる理由の一つには、このように調性のイメージが上手く合致していたことにもあると言えるでしょう。

 また、B’zの楽曲は、稲葉さんのヴォーカルを活かすために最高音がHigh C#になるよう作られていることが多く、《光芒》もその一つです。実は、C#は「悲痛」のホ短調には含まれず、「輝かしく喜ばしい」ホ長調には含まれる音。そんなヴォーカリストとして本領発揮できる音を光パートにとっておくのも、スランプを抜けた先に本来の力で輝けるようになることが示唆されているようで素敵ですね。

4. 不安定から安定へ

 次にわかりやすい作曲上の変化は、ヴォーカルのメロディー。一言で説明すると、闇パートから光パートへは、「不安定」から「安定」へと変化しています。

 闇パートはサビ、光パートはCメロを例に挙げながら、最初の4小節同士で比較してみます。著作権対策のため、「その譜面だけを見て楽曲の再現(演奏)が可能かどうか[4] というJASRACの判断基準にしたがい、譜面だけでは再現できないようリズムのみの記載にしています。

 まず、サビ。

<図1> B’z《光芒》サビ4小節:リズム

 曲のアクセントになっている部分は黒い三角印、拍数は青い数字で記していますが、サビ部分はアクセントと拍数がズレていたり揃っていたりしていて安定していません

 さらに、16符音符で始まったかと思えば休符が入ったり、長い音符が続いたかと思えばまた16符音符が入ったりと、焦ったり立ち止まったりしているような、激しい心の迷いが表現されています。

 それに対して、Cメロは次のように変化します。

<図2> B’z《光芒》Cメロ4小節:リズム

 アクセントと拍数がほぼ揃って安定しています。16符音符や休符は極端になくなり、ほとんどが8符音符で刻まれています。歌詞通り「歩き続ける」ような安定感が表現されています。

 激しく感情が動くような闇パートを経てから、気持ちを決めたようにしっかりした足取りで歩き始めるように変わるからこそ、余計にこの光パートが感動的に聞こえるのだと考えられます。

5. 「自分を救う それは誰なのか」

 稲葉さんは、松本さんの作ったこのメロディーに充てた歌詞について、何か運命的なものを感じたそう。特にCメロの歌詞は、「きちんと言葉を呼び込んで、必然的に作られた感じ」がしたらしく、自身でこの部分を聴き直しているときに「自分が救われている気がした」と語っています。

 闇パートである2番のサビで、「自分を救う それは誰なのか」という問いが提示され、その答えは「光を求めて歩き続ける自分自身」ということが示されます。自身の作った曲によって救われたという背景が、より一層その力強いメッセージに説得力を与えてくれますね。(^^)
   

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【引用文献】
[1] 門馬直美『音楽の理論』講談社、2019年、p.43 
[2] 同上、p.44
[3] 同上、p.42
[4] コード進行に著作権はあるか? / J-POPコード進行解析ブログ(2019/09/16閲覧)

【参考文献】
・ 門馬直美『音楽の理論』講談社、2019年
コード進行に著作権はあるか? / J-POPコード進行解析ブログ(2019/09/16閲覧)

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