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【長いIntroduction】「名曲」とは
※前置きが長いので、お急ぎの方は#1からどうぞ
「名曲」とは何か。辞書を開けば「有名な楽曲。すぐれた楽曲」と記されていますが、単に「良い曲」とはちょっと違う印象を受ける方も多いのではないでしょうか? 筆者もその一人です。
筆者にとっての「名曲」は、「何度聴いても発見がある曲」です。小さい頃に何百回と聴いていた曲なのに、大人になって聴き直すと新たな魅力に気づかされることがありますよね。経験や知識を積むことで、曲に隠された仕掛けを見つけたり、曲に含まれた本当の意味に気づかされたり、自身が成長することで何度でも楽しむことができます。何百年も前に作られたクラシックの楽曲から未だに新しい解釈が発見されるように、時代を越えても「名曲」は飽きられることはありません。
こうした曲は、人生経験を積んでいるおかげで思慮深い考えができたり、あるいは音楽やそれ以外の知識を勉強して作品に活かすことができたりする「深い作り手」によって生み出されます。逆に、浅い思考回路であまり勉強せずに作られた「浅い作り手」の作品にも、音楽を勉強しないで作ったからこそ革新的なもの、余計な考えがないからこそピュアな輝きのあるものなど、魅力的な曲は山ほどあります。しかし、これらは何度も聴き直して楽しめる曲かと言うと、そうでないことのほうが断トツに多い。なぜなら、聴き直すごとに曲の拙い部分や浅い部分が耳についてしまって、感動がどんどん薄れてしまうからです。こうした曲は、筆者の中では「名曲」ではなく「良い曲」にカテゴライズされます。
前置きが長くなりましたが、ポルノグラフィティの《サウダージ》(2000)は紛れもない「名曲」です。「深い作り手」によって作られた「何度聴いても発見がある曲」です。
筆者が初めて楽曲を聴いたときはまだ若かったのですが、実はこの歌詞の心情をまぁ全く理解できませんでした。それにも関わらず、その歌詞の美しさに涙が出るほど感動したのです。そして大人になった(と本当に言えるかどうかはさておき)今、この歌詞の心情にずきずきと共感してしまう自分がいます。
筆者の個人的な意見や思い出ばかり駄弁っていても仕方ないので、具体的な《サウダージ》に含まれた仕掛けについて、ここでは歌詞を中心に紹介したいと思います。
1.「サウダージ」ってどういう意味?
「サウダージ Saudade」は、「郷愁や過去への憧憬」「届かぬ思い」「切なさ」などの意味を持つスペイン語ないしポルトガル語です。ボサノヴァのようなブラジル音楽で使用されることが多い言葉で、ニュアンスを訳すのが難しいと言われています。(フランス人のギタリストであるローラン・ディアンスが作曲した《3つのサウダージ》(1980)というクラシックギターの楽曲にも、この題がつけられています。)異国情緒的なノスタルジックを感じさせる言葉ですね。
このタイトルから、《サウダージ》は一般的に “ラテン風の楽曲” というふうに知られてきました。しかし、実はこの楽曲にはもう一つの異国情緒が隠されています。それは…
2. ロシアのことわざが由来
悲しみは海ではないので すっかり飲み干してしまえる
(原語:Горе не море, выпьешь до дна)
これはロシアのことわざです。「ゴーリェГоре」(悲しみ)と「モーリェ море」(海)の韻を踏んだことわざで、意味は「いつまでもクヨクヨするな」というもの。人間の悲しみなんて広い海に比べたらちっぽけなものさ、というニュアンスですね。
ピンと来たあなたは鋭い!そう、
涙が悲しみを溶かして、溢れるものだとしたら
その滴も、もう一度飲み干してしまいたい
この部分の歌詞は、このロシアのことわざから着想を受けていると考えられます。陽気で情熱的なイメージを感じさせるラテンだけではなく、寒いロシアの異国情緒もほんの少し隠されていたのです。しかし…
3. 由来のことわざと意味が逆!
若かりし頃に全く共感できなかったというのは、その次の部分。
凛とした痛み胸に、留まり続ける限り
あなたを忘れずにいられるでしょう
《サウダージ》は「失恋」を歌った楽曲ですが、この歌詞の主人公は失恋をただ嘆くだけではなく、「あなた」を失う悲しみや痛みをいつまでも胸に留めたがっています。「去る人なんて早く忘れて、次の恋に進めばええやないかい!!」と、当時は大クエスチョンマーク。
しかも、なんと元ネタのことわざ「いつまでもクヨクヨするな!」とは意味が全く逆!自らクヨクヨと悲しみに飛び込む意味に変換されています。一体なぜ? 若かりし筆者は、この歌詞に訳もわからないまま、その美しい表現に感動して涙をこぼします。
4. 本当は女目線じゃない
この楽曲には、もう一つ「真逆」になっているものがあります。それは、歌詞の目線です。「見つめあった私は、可愛い女じゃなかったね」という歌詞からもわかるように、この楽曲は女性目線で描かれている曲です。
しかし、この曲の歌詞については、作詞した新藤晴一さん本人は「男にも女々しい部分はあるからそれを書きたかった」と語っています。つまりこの曲で描かれているのは、実は ”男性” の心情だったということになります。
こうした性別を転換させた作品の代表に、平安時代の歌人である紀貫之が女性のフリをして書いた『土佐日記』があります。理由は諸説(※)存在しますが、男性が日記に感情を吐露することが許されていなかった当時、亡くなった娘への思いを綴る唯一の手段だったからだと考えられています。(※当時男性が日記に仮名文字を使うことは一般的でなかったから、など。)
《サウダージ》にも『土佐日記』と似たような効果があります。今でこそ男性が感情を露にすることは禁止されていないものの、もし失恋についてネチネチと落ち込んでいたら「女々し!だっさ!!」と思われてしまいますね。これを女性目線で描くことで、むしろ真剣にその人を愛していたような情熱的な印象を与えます。全く不条理な世界ですね。
5. 逆転させた二つのトリックで、何を描きたかったか
このように、《サウダージ》の歌詞には#3と#4の項目で紹介した、逆転してしまったものが二つありました。ではなぜ、元ネタの意味を逆転させてまで、あるいは目線を性転換させてまで、歌詞の主人公は「クヨクヨする」「女々しい」選択を望んだのでしょうか?
それは、歌詞に ”悲しみは無かったことにするものではなく、乗り越えるもの” というニュアンスが含まれているからです。上記のことわざに従えば、広い世界の中では人間の悲しみなんて有って無いようなものだと “無かったこと” かのように処理されます。しかし、大切な人を失った悲しみは “無かったこと” になんてできません。たとえ広い世界の小さな失恋だろうと、その人にとってはその世界すら小さく感じてしまうような大きな喪失かもしれません。
そんな”無かったこと”にできないような悲しみは、無視するものではなく向き合うものです。どれほど苦しむことになったとしても、一緒に過ごした「あなた」との記憶まで無かったことにするよりはクヨクヨと悲しんでいたほうがよっぽど良い。そうした悲しみを乗り越えて、人間はまた次の人生を歩き出します。
男性目線だと、この悲しみと向き合っているような “たくましさ” はやや薄れ、未練たらたらな女々しいヤツになってしまいます(笑) それを、美しいことわざを使いながら、女性目線でさらに美しい表現にすることで、悲しみを乗り越えようとする人間のたくましさに置き換えられています。そんなニュアンスが、二つの逆転させたトリックによって描かれているのです。
6. だからこそ「名曲」
恋愛なんてろくに経験してない若かりし筆者のような子供にとっては、《サウダージ》の歌詞に対して「早く吹っ切れれば良いのに」と思ってしまうものです。しかし、理屈だけで圧しきれない感情もあることを、経験を重ねることで理解するようになります。また、知識を重ねていくことで何か別のものとの相関に気づかされることもあります。それは一見関係なさそうな他国のことわざだったり、千年以上も前の古典文学だったり、思わぬところから繋がることもあります。こうして知識や経験を重ねることで、何度も何度も楽しむことができます。
何度聴いても発見がある、ゆえに《サウダージ》は名曲なのでしょうね。