※この記事は、漫画『ジョジョの奇妙な冒険』シリーズより第3部『スターダストクルセイダース』から第6部『ストーンオーシャン』までのネタばれを含んでいます。ご了承の方はご覧ください。(結末に触れない程度のネタばれ回避を望まれる場合、途中(#3)まで読んでから離脱していただくことも可能です。)
目次
【Introduction】今までがチートなのに…
1987年から30年以上にもわたって連載中の人気コミック『ジョジョの奇妙な冒険』(以下「ジョジョ」と略記することもあります)。第3部からは「幽波紋(スタンド)」という超能力を可視化した概念が登場し、以降の部における主人公たちは、それぞれ主人公に相応しいスタンド能力を持つことになります。第6部までの主人公とスタンド能力を簡単にまとめると、以下のようになります。
「これを主人公にせず誰を主人公にするのか」というくらいチートな「スタープラチナ」から始まり、そのスタープラチナにもできなかった「壊れた物を直す」能力を持つ「クレイジー・ダイヤモンド」、そして「生命を生み出す」能力の「ゴールド・エクスペリエンス」と、ますます凄い能力になっていきます。「生命を生み出す」に至ってはもう神の領域ですね。順当にいくなら、第6部の主人公はその「神」を超えるようなスタンドでなくてはならなりません。さて、どんな能力が与えられたのかと言うと…
………糸? え………… 糸?
不可解なのはこれだけではありません。「ストーン・フリー」というスタンド名にも関わらず、能力自体に「石(ストーン)」関係ねぇという謎もあります。作者の荒木飛呂彦先生は、スタンドの能力はその名前に応じて決めることが多いと仰っていますが、それにも関わらず「石」より弱そうな「糸」が能力として選ばれています。言い換えれば、第6部主人公のスタンドはどうしても糸じゃないといけなかったかのように思えてきます。
実は、読み進めていくうちに、この謎は婉曲的に明かされていきますが、作中においては最後まで直接的な説明はありません。たしかに作者本人が説明してしまうとミステリアスさが損なわれますが、一方で知らないともったいないところでもあります。したがって、本記事においては、『ジョジョの奇妙な冒険』第6部における主人公のスタンドがなぜ「糸」なのかについて解説します。
1. 石の能力じゃない「ストーン・フリー」
まずは、第6部の主人公である空条徐倫のスタンド「ストーン・フリー」という名前について。
この名前は、ジミ・ヘンドリックスの楽曲《Stone Free》(1969)から拝借しています。曲名には「束縛(Stone)からの解放(free)」というような意味があり、自由を求めるジミヘンの魂を体現した楽曲であると考えられています。
物語の序盤、無実の罪で投獄された徐倫は「この石作りの海(※収容されている刑務所のこと。海沿いにあるためこう呼ばれています)から自由になる」と宣言し、脱獄を決意します。この「石作りの刑務所から脱獄する」という目標が、そのまま「束縛からの解放」へ繋がるというストーリーです。荒木先生は、ここで言う「石(いし)」は徐倫の「意思(いし)」に掛けているとも語っており、このスタンド名一つに何重もの意味が込められていることがわかります。そして、こんな幾重に意味が含まれているにも関わらず、ストーン・フリーは石のスタンドではありません。
2. 糸のスタンド
ストーン・フリーは、糸のスタンドです。このスタンドを理解するための重要なヒントは、徐倫が作中で放った次の言葉。
線が集まって固まれば、『立体』になるッ!この概念!!
能力の紹介欄には、以下のような特徴が記載されています。
- 糸が集まってできているかたまりのようなスタンド
- 力・スピードの射程はせいぜい2mだが、糸だけを細ーく伸ばしてやれば糸の長さだけの射程を進める。その場合、すごく強度は弱くなる。
- 糸電話のように、声や音を聞くことができる。
スタンドの種類には、近距離からパワーのある攻撃をする “近距離パワー型” と、力は弱いが遠距離から攻撃ができる “遠隔操作型” の2種類がありますが、なんとストーン・フリーはその両方ができるということになります。主に “近距離パワー型” しか持たなかったそれまでの主人公たちに比べると、しっかりと融通が効くようにレベルアップしています。 また、上述の「石」同様に、「糸」と「意図」が掛けられているのだそう。
もちろん、「糸」である理由はそれだけではありません。実はこの概念!! ある理論に則っています。 それは…
3. 世界は「糸」でできている
「超ひも理論」。
これは、まだ正しいことが証明されていない現代物理の一つですが、もし証明することができれば、世界のすべてを説明できる最強の理論になると考えられています。
簡単に言うと、「世界はひもでできている」というもの。この世界のあるものはすべて、実はたった一種類のひもが集まってできているという概念です。要するに、この「ひも」がわかりやすいように転じて「糸」になったのが、徐倫のスタンドだと考えられます。
これまでに様々な哲学者や物理学者が「世界は◯◯でできている」と言い切ることを試み、「万物の根源は◯◯である」というふうに提唱してきました。万物の根源は「水」「数」「原子」など様々な説が提案されては消え、あのアインシュタインでさえもその生涯で発見することができず悔しがったと言います。もし、超ひも理論が証明されたら、アインシュタインさえも成し遂げられなかった「万物の理論」をついに証明することができます。
この「ひも」は、ヴァイオリンの弦が振動して様々な音色が出るように、振動の仕方によって様々なものを構成していると考えられています。徐倫の言っている「立体」は、縦、横、奥行きから成る「三次元」でできており、現在はそれに時間の次元を足した「四次元」までが確認されていますが、ひもの振動を観察することによって、それ以上の高次元を発見する可能性を秘めています。さらには、宇宙のはじまりについて正確な計算をすることもできるそう。とにかく糸すごい。
※以下、『ジョジョの奇妙な冒険』シリーズの第6部『ストーン・オーシャン』の結末を明記したネタばれが含まれます。(結論部 #6 はネタばれを含まないので、そちらへ飛んでいただくことも可能です。)
4. ラスボスも物理上最強
コミックを読んでもわかるように、主人公だけでなく第6部自体が宇宙物理で支えられています。
例えば、第6部のラスボスであるエンリコ・プッチ神父。プッチ神父は、「重力」を支配する力を身につけることで「時間を加速させる」ことができるようになり、なんと世界を一巡させてしまいます。実はこれも、上述の「万物の理論」に基づいているものです。
そもそも「万物の理論」は、「一般相対性理論」(以下、「相対性理論」と略記)と「量子論」という二つの理論を合体させることで導き出せると考えられています。相対性理論は量子論のように「小さい世界」を説明することができず、量子論は相対性理論のように「重力」を説明することができません。この両者の弱点を補い合って「小さい世界の重力を説明する」ことができれば、究極の理論が完成します。
プッチ神父は、元々誰かの「記憶」と「スタンド」を奪うことができるというスタンド能力を持っていました。その能力を使って、「小さく縮む」能力を持った緑色の赤ちゃんからスタンドを奪い「C-MOON」というスタンドに進化します。そして、「重力」を完全に支配してからさらに「メイド・イン・ヘブン」というスタンドへ進化します。つまり、「小さく縮む」能力で量子論をゲットした後に、「重力」を完全に支配することで相対性理論をゲット、この二つを合わせて「世界」を支配する最強のスタンドになったという展開です。
また、一般相対性理論によって、「重力場によって時間の進み方が変わる」ということが確認されています。そのため、プッチ神父は重力を支配したことで時間までをも支配してしまったんですね。
5. 糸、最強
歴代最強レベルの力を手にいれたラスボスですが、現代物理で最強なのはやっぱり「超ひも理論」です。そんなわけで糸スタンドの徐倫がこれに立ち向かっていきます。(誤解がないように言うと、「超ひも理論」こそが相対性理論と量子論を合体させた理論であると考えられています。)
「C-MOON」に進化して「触れた相手の重力をひっくり返す」という脅威の能力を手にいれたプッチ神父に、徐倫は自身の身体に糸で「メビウスの輪」を作ることで危機を打破します。メビウスの輪は、帯状の長方形を180度ひねって端をくっつけることで作れる図形で、表と裏が永遠と続いていくというもの。これもやはり超ひも理論と結びつける考え方があるようで、輪っか状の形態の「超ひも」に外から他の力が働くことで「メビウスの輪」状になるものもあるとされます。表裏が「永遠」に続くことから(「無限大(∞)」と似たような形をしていることもあり)、「宇宙」や「輪廻」に例えられることも。
プッチ神父の「メイド・イン・ヘブン」に直接とどめをさしたのは、徐倫ではありませんでした。しかし、「糸」には物理の他にも重要な概念があります。「運命の赤い糸」という言葉があるように、糸は「周囲との繋がり」を象徴するものです。第6部の結末は、友人(ウェザー・リポート)の物(スタンド能力のDISC)を友人(エンポリオ)に受け渡すことによって勝利するというものでした。つまり、徐倫と周囲の繋がりが導いた、別の概念における「糸」の勝利です。(新海誠監督のとあるアニメーション映画にも、同様に「超ひも理論」を他者との繋がりの象徴と掛けて描いた作品があります。)
「徐倫」の「倫」は、作者からの注で「①人の守るべき道」に続いて「②なかま」とあります。自然の謎を追求するのが「物理」なら、人間の心を追求するのが「哲学」。かつては同じ分野として扱われていた二つですが、糸はそのどちらにおいても最強の存在だと言えます。
6. それまでのジョジョにありえなかった「物理」部
実は、第6部のように物理を主体に描くことは、それまでの『ジョジョの奇妙な冒険』シリーズにはありえないことでした。というのも、第12巻の内表紙に掲載されている荒木さんのコメントに、以下の記載があるからです。
JOJOは、「生命賛歌」というか「人間って、すばらしいなあ」ということをテーマにかいています。主人公にも、機械やテクノロジーにたよらずに、自分の肉体を使って、危機をきりぬけていくというこだわりが、あります。どうも自分には、理科系は、人間をかならずしも幸せには、してないなという意見が、あるからです。
学生時代は、数学と物理はきらいだったし(うらんじゃいないけど)。
ちょうどスタンド概念が加わった第3部を開始した1989年のコメントですが、その約11年後になぜか物理を主体とした第6部に取り掛かっています。しかし11年の間に心変わりをしたのかというと、そうでもないよう。第6部もそれまでと同じように、機械やテクノロジーに頼らず、自分の肉体を使って切り抜けていく話で、そこに自然の物理要素が加わったというだけ。荒木先生の信念は変わらないまま、扱うテーマが広がったのだと考えるほうが妥当です。
スタープラチナという無敵の大きな存在から始まった「スタンド概念」が、生命を生み出すという神の領域を経てたどり着いたのは、意外にも「糸」という小さい存在でした。その小さい存在こそが、実は世界のすべてかもしれないと思うと、なんだかロマンがありますね。
【参考文献】 ・高森圭介『ニュートン別冊 現代物理学3大理論 増強第2版 –相対性理論、量子論、超ひも理論』2017年、ニュートンプレス
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